透明な脳 ~第四章 全人格としての脳 脳の発達と教育

人格の形成に脳が大きく寄与し、しかも脳がよく機能するかどうかは実生活のなかで生じる目的意識や感動と深く結びついていることは、これまでの説明で理解していただけたと思う。もちろん栄養学の観点から厳密にいえば、脳に必要な栄養がいきわたらなければ、脳の活動が鈍り、記憶力にも影響してくるともいえるのだが、現在の社会状況では脳の栄養不足というよりも、偏食による栄養バランスの影響が懸念されている。特にミネラルとビタミンの不足が目立つ。

さて、今日の教育と脳の発達について考えてみたとき、少し気掛かりなことがある。それは、今日の教育では子供の記憶力を基準にして、能力を評価し、それを鍛えることが脳を発達させることだ、としていることだ。教育の実際は受験目的であり、そのために記憶力を重視する傾向がある。確かに記憶力は脳のひとつの重要な能力である。しかしそれだけが人間の能力ではない。記憶力とともに、観察力、思考力、創造力、想像力なども人間が事物を認識していくうえで欠かすことのできない能力である。これらの諸能力が総合的に機能して、事物の認識も可能になるし、脳も発達するのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 実体験と追体験②

小説、記録、その他のものを読むことは、実体験ではないが、体験したのと同じように脳に働きかけるのである。このことは映画についてもいえる。戦争を知らない若者が、ある戦争の映画を見たとする。そのことで若者は戦争を追体験する。それが、すでに脳にインプットされている学校で習った戦争に関する知識と結びついて、戦争に関する概念を新しく作りかえるのである。

ただ、映画と小説には次のような違いがある。映画は映像そのもの、ずばり脳にインプットするが、小説は直接映像として脳に働きかけることはない。小説は文字言葉を通して脳に作用する。つまり、読み手はいったん文字言葉で受けたものから、自ら映像を作り上げなくてはならない。これが想像力である。読み手それぞれが自分で作り上げた映像が、感情や思考をゆさぶるのである。

このように脳は実体験と追体験を織りまぜながら、ものごとの新しい概念を作る働きをする。その結果、人格の形成に影響を及ぼすのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 実体験と追体験①

脳はすでに蓄積している情報の上に、体験を媒介にした外界からの新しい情報を分析して、新しい思想や感情を形成する。この場合、われわれの体験は、実生活、実体験だけではない。人間は追体験という体験をすることができる。実際にある事柄を体験しなくても、あたかもそれを体験したかのような精神活動ができるのだ。

たとえば、恋愛小説を読んで、登場人物の像を脳に描き、自分がその相手でもあるかのような思いになる。登場人物との恋愛を小説を読む過程で体験しているのだ。

また、癌をかかえた夫をもつ女性が、夫と同じ癌患者の闘病記を読んで、闘病記の著者と同じような体験をする。この女性の追体験は、すでに脳にインプットされている夫の癌に働きかける。夫の癌に対する医療行為の是非や、今まで気がつかなかった夫の悩み、不安、苦しみなども、追体験を通して見直すこともできる。これらはみな、すでに脳に蓄積している夫の癌についての情報と、追体験して得た情報とが結びついて、夫の癌についての新しい概念を形成していくのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 「記憶する能力」と人類の進歩③

かりに人間に記憶の能力が備わっていなければ、海を見ても何も感じない。いや、それ以前に、海がなんであるかすらも認識できないであろう。優れた芸術家は脳裏に記憶している豊かな経験を基礎にして、風景や人間と対話する。過去の経験をヒントにしながら、人間や社会についての新しい見方を芸術作品というかたちで提唱していくのだ。

記憶する能力が人間に備わっていなければ、経験を生かして対策を立てたり、新しい物の見方を創造することはできない。当然、人類の進化も、文化の形成もありえない。単なる犬や猫と同様に、毎日が同じことの繰り返しである。

いずれにしても視覚などを通じて外界から脳に入ってくる新しい情報は、記憶されたこれまでの体験を媒体として再解釈される。その結果、あるいは人間としての成長の跡が、あるいは堕落の跡が刻まれるのである。

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 「記憶する能力」と人類の進歩②

たとえば太平洋戦争の末期に、米軍が海上から近付いてきて上陸する光景を目にしたひとにとっては、きらきらと光る夏の海は決して旅情をさそいはしないだろう。海面の反射すら炸裂する黄燐のように見えるかもしれない。ところが戦後の豊かな社会で育った世代にとって、青い海は楽園として映る。マスコミを通じて、脳の中にインプットされた観光地と海岸のイメージが記憶として定着しているからだ。

もちろん沖縄戦の経験者であっても、戦後、沖縄の海と海岸は観光地としてのイメージを植え付けられているから、海を見てどう感じるかという問題に対して、明確な一線を引くことはできない。あるひとは太陽の反射を美しいと感じた瞬間、すぐその後に恐怖感に見舞われることもありうる。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 「記憶する能力」と人類の進歩①

さて目から入ってきた情報をたよりに脳は対象物の色や形、それに動きなどを判断するのだが、人間の人間たるゆえんは、その情報を過去の記憶と結び付けて、あらたな感情の世界を形成するという点にある。感動を脳科学の立場から分析してみると、こうした一連の動きであることが分かる。脳を通じて単に物が見えるだけでは、犬や猫と少しも変わらない。過去の体験を基礎として、あらたに脳が描き出す外界を、違った角度から解釈できるようになる過程こそ、精神の発達を意味する。

ここからやや芸術論の領域になるかもしれないが、ひとはよくある風景を見て感動した体験を口にする。かりに夏の太陽が降り注ぐ海辺に立って、光る海面を眺めているひとが二人いるとする。このとき海と太陽という対象は共通しているのに、二人はそれぞれ違った印象をうけているかも知れない。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 脳が認識する世界③

脳は大まかにみれば、左右の大脳半球、それを結合させる脳梁、さらに小脳、中脳、橋・延髄などから構成されている。もちろん、大脳ひとつをとっても新皮質の部分や古皮質の部分などに分類され、極めて複雑だ。脳は位置によって違った機能をもっていることは、すでに検証した視覚のプロセスを見ただけでも明らかになる。

かりに第Ⅰ視覚野が完全に破壊されていれば、目から入ってきた情報がそこで遮断されてしまうので何も見えない。また、第Ⅳ視覚野が破壊されていれば、視覚野のほかの領域が正常でも、物の色や形が認識できない。なにかが動いていることは認識できても、それが何であるかが分からない。さらにMT野が破壊されていれば、物の動きが認識できない。動いているはずの救急車が、遠くで静止して見えたかと思うと、次の瞬間には目の前で静止して見えたりする。まるで高速の紙芝居で画面が展開していくような状態になる。

われわれが認識している世界というのは、あくまで脳を通じてみた世界にすぎない。脳が認識している世界は、あくまで脳というフィルターを通してみたものであって、脳のフィルターが変われば、世界はまったく別の形で認識されるのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 脳が認識する世界②

かりに、猛スピードで走っている救急車を見るときの脳の働きを分析してみよう。まず、目を通して脳に入ってきた救急車の全体像は、脳の中の第Ⅰ視覚野と呼ばれるところへ送られる。ここで救急車の全体像が、色、形、動きなどに分類される。色や形の情報は、第Ⅰ視覚野から側頭葉の下の方向へ送られる。そこには、形や色を判別する第Ⅳ視覚野と呼ばれる脳の領域があり、物体が何であるかを見極めることができる。

一方、動きについての情報は、第Ⅰ視覚野から頭頂葉と側頭葉の境界へ流れ、そこにあるMT野と呼ばれる脳の領域で、救急車がどんな動きをしているのかを認識する。ちなみに情報を伝達するエネルギー源は、体内に流れる電気信号である。脳が刺激によって興奮すると、電気信号が伝わり、さまざまな神経伝達物質を分泌させ、ニューロンと呼ばれる脳細胞を相互に結合させ、情報の回路を作るのだ。

こうして、脳の分業によって別々に認識された情報が集合して、走っている救急車の全体像を認識させるのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 脳が認識する世界①

 事物を記憶する前提となるのは、いうまでもなく人間の五感を通じて入ってくる情報である。五感は脳と外界を繋ぐ重要な懸け橋だ。物を見るという行為を脳科学の立場から解析してみると、われわれがなにげなく考えているように単純なものではなく、かなり複雑な過程があることが明らかになる。
見るということについて考えてみるならば、そこに物があり見えるのは、目が機能してそれを見るからだ、という思い込みがある。確かに目で対象物を捕らえていることは紛れもない事実で、その証拠に、目隠しをすれば視界が遮られてしまう。その意味では目で物事をみていることには違いないが、視覚をコントロールする大脳のなかの視覚野(後頭部に位置している)が破壊されると、視力の障害が起きる。場合によっては、まったく物が見えなくなってしまう。
目というのカメラでいえば、レンズの働きをする部分にほかならない。そのためか、両目を通して入ってきた外界の像を、脳がそのまま意識の上に映し出しているかのように思いがちだが、最近の研究で、色や形、それに動きを認識する脳の領域は、それぞれ異なっていることが分かった。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第二章 記憶と実生活 まとめ

関心がある事や実生活と結合している事は記憶しやすいという原理は、老人になると物覚えが悪くなる原因を説明するためにも有効だ。もちろん、老人の場合は、脳の病変による記憶障害のケースが多いわけだが、もうひとつの理由として、歳を取るにつれて新しいものに対する関心が湧かなくなることも原因としてあげられる。

いずれにしても記憶力を含む人間の知力というものは、それ自体が脳の中に独立して存在しているのではなくて、外界との接触のなかでさまざまな形に作られていくものなのだ。だから知力のかたちは個人の経験により微妙に違っている。思考の内容がまったく新しいもので、しかもそれが説得力をもっていれば、社会的に高い評価を受けることになる。これこそ創造の正体である。

試験によって測定できる断片的な知識は、外側から施した化粧のようなもので、時間がたてばすぐに剥げてしまう。本当の知力というものは、基本的には実生活と深く結び付きながら発達するものなのである。

自著「透明な脳」より

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