レビー小体型認知症

今日認知症の中で、レビー小体型認知症が話題の一つになっている。この疾患の臨床症状は、一般的に言えば以下の通りである。

(1)注意、集中の変動

(2)繰り返し出現する具体的な幻視

(3)誘因のないパーキンソニズム

症状の出現の仕方は、まず幻視が現れ、次に記憶が曖昧となり認知機能の変動により患者自身が混乱をきたすようになる。その後歩行障害が現れ(この背後にはパーキンソニズムが隠れている)、進行すれば失禁も現れる。この疾患の副弐的特徴は、転倒、原因不明の意識障害、うつ症状、尿失禁等があげられ、進行性の認知機能低下により、日常生活に支障をきたしていく。

レビー小体型認知症の鑑別診断の対象疾患として、アルツハイマー病(AD)がある。ADの初期症状は物忘れが主であり、患者は不安感に襲われる。そして時を同じくして、品物の置き忘れや仕舞い忘れも現れてくる。これから診てもレビー小体型認知症とは異なる。

今回は簡単に、レビー小体型認知症とADの鑑別に触れたが、認知症の中には脳血管性認知症もあることも忘れてはならない。

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師走

平成29年も残すところあと僅かである。

日々の診察を通して感じることであるが、アルツハイマー病などの認知症や軽度認知障害の患者のなかには、病気であるにも拘らず病識がない患者が多い。このような場合、患者の周囲も病気に対する具体的な理解がない人が多い。また、高齢者であれば、診察する側の医師も、年齢相応という観方で様子をみる場合が多いのも事実である。因って、患者側に於いても同様の見方をしている方が多いのは当然であろう。

何れにせよ、物忘れなど病気のサインを見逃すことのないよう、早い段階で専門医を受診し、早期発見に繋げることが大切である。

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早期発見への手がかり

婦人公論の本vol.8 「そろそろ知っておかなきゃ!認知症」では、早期発見への手がかりとして、認知症診断テストとチェックリストを紹介しています。

ミニメンタルステートテスト(MMSE)は、認知症ケアに力を入れている医療機関で多く使用されている、認知症かどうかを検査するためのテストです。当院では、心理士が口頭で質問し、記憶力、計算力、言語力、そして現在の日時、自分がいる場所などを認識しているかどうかを測定するものです。

アルツハイマー病など認知症の進行を遅らせるためには早期発見が大切です。ただ忘れっぽいだけなのか、それとも認知症の疑いがあるのか、気になる時は、専門的な医療機関を早めに受診することをおすすめします。

 

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もしかして認知症?

婦人公論の本vol.8 「そろそろ知っておかなきゃ!認知症」に掲載されている特集記事を紹介します。

進行を遅らせるために大切な早期発見!

認知症に移行する前段階を、軽度認知障害(MCI)といいます。この段階で治療を開始することで、認知症に進行しないですむケースもあります。また、すでに認知症になっていても、早期であれば進行を遅らせることができるのです。認知症のタイプを診断するためには、MRIによる検査のほかに、脳血流の状態などを調べる必要があります。タイプごとに治療のアプローチも異なるので、早期に専門的な診断・診察を受けることが大切なのです。

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透明な脳 ~第四章 全人格としての脳 知能と社会生活のかかわり

歴史的にみて脳はいったいどんな発達の仕方をしてきたのだろうか。あるいは人間の意識や感覚はどんなふうな変換をたどってきたのだろうか。大学院時代、わたしは霊長類の脳を研究したことがあるが、人間の脳との著しい差は、前頭葉であり、なかでもわたしの研究のデータからでは、前頭葉内側部の発達の状態である。前頭葉の内側部は、人間だけが異常に発達しているのだ。

知能というのは、断片的な知識の習得により育つのではなく、人間と人間とのかかわりのなかで飛躍的に育っていくものなのだ。実生活の経験が脳に記憶され、その後の問題解決に影響を及ぼすのである。実生活と関係のない事柄、たとえば英才教育で、英単語を幼い脳に詰め込んでみたところで、思考力とは全く関係がないのだ。幼児の英才教育は、人間が本来もっている知能を発展させる能力を抑制する働きしかない。もちろん人工的に興味をもたらす状況を設定して、幼児に英単語を教えることは可能かもしれないが、実生活から生じる欲求にまさるものはおそらくないだろう。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第四章 全人格としての脳 脳の発達と教育

人格の形成に脳が大きく寄与し、しかも脳がよく機能するかどうかは実生活のなかで生じる目的意識や感動と深く結びついていることは、これまでの説明で理解していただけたと思う。もちろん栄養学の観点から厳密にいえば、脳に必要な栄養がいきわたらなければ、脳の活動が鈍り、記憶力にも影響してくるともいえるのだが、現在の社会状況では脳の栄養不足というよりも、偏食による栄養バランスの影響が懸念されている。特にミネラルとビタミンの不足が目立つ。

さて、今日の教育と脳の発達について考えてみたとき、少し気掛かりなことがある。それは、今日の教育では子供の記憶力を基準にして、能力を評価し、それを鍛えることが脳を発達させることだ、としていることだ。教育の実際は受験目的であり、そのために記憶力を重視する傾向がある。確かに記憶力は脳のひとつの重要な能力である。しかしそれだけが人間の能力ではない。記憶力とともに、観察力、思考力、創造力、想像力なども人間が事物を認識していくうえで欠かすことのできない能力である。これらの諸能力が総合的に機能して、事物の認識も可能になるし、脳も発達するのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 実体験と追体験②

小説、記録、その他のものを読むことは、実体験ではないが、体験したのと同じように脳に働きかけるのである。このことは映画についてもいえる。戦争を知らない若者が、ある戦争の映画を見たとする。そのことで若者は戦争を追体験する。それが、すでに脳にインプットされている学校で習った戦争に関する知識と結びついて、戦争に関する概念を新しく作りかえるのである。

ただ、映画と小説には次のような違いがある。映画は映像そのもの、ずばり脳にインプットするが、小説は直接映像として脳に働きかけることはない。小説は文字言葉を通して脳に作用する。つまり、読み手はいったん文字言葉で受けたものから、自ら映像を作り上げなくてはならない。これが想像力である。読み手それぞれが自分で作り上げた映像が、感情や思考をゆさぶるのである。

このように脳は実体験と追体験を織りまぜながら、ものごとの新しい概念を作る働きをする。その結果、人格の形成に影響を及ぼすのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 実体験と追体験①

脳はすでに蓄積している情報の上に、体験を媒介にした外界からの新しい情報を分析して、新しい思想や感情を形成する。この場合、われわれの体験は、実生活、実体験だけではない。人間は追体験という体験をすることができる。実際にある事柄を体験しなくても、あたかもそれを体験したかのような精神活動ができるのだ。

たとえば、恋愛小説を読んで、登場人物の像を脳に描き、自分がその相手でもあるかのような思いになる。登場人物との恋愛を小説を読む過程で体験しているのだ。

また、癌をかかえた夫をもつ女性が、夫と同じ癌患者の闘病記を読んで、闘病記の著者と同じような体験をする。この女性の追体験は、すでに脳にインプットされている夫の癌に働きかける。夫の癌に対する医療行為の是非や、今まで気がつかなかった夫の悩み、不安、苦しみなども、追体験を通して見直すこともできる。これらはみな、すでに脳に蓄積している夫の癌についての情報と、追体験して得た情報とが結びついて、夫の癌についての新しい概念を形成していくのである。

自著「透明な脳」より

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 「記憶する能力」と人類の進歩③

かりに人間に記憶の能力が備わっていなければ、海を見ても何も感じない。いや、それ以前に、海がなんであるかすらも認識できないであろう。優れた芸術家は脳裏に記憶している豊かな経験を基礎にして、風景や人間と対話する。過去の経験をヒントにしながら、人間や社会についての新しい見方を芸術作品というかたちで提唱していくのだ。

記憶する能力が人間に備わっていなければ、経験を生かして対策を立てたり、新しい物の見方を創造することはできない。当然、人類の進化も、文化の形成もありえない。単なる犬や猫と同様に、毎日が同じことの繰り返しである。

いずれにしても視覚などを通じて外界から脳に入ってくる新しい情報は、記憶されたこれまでの体験を媒体として再解釈される。その結果、あるいは人間としての成長の跡が、あるいは堕落の跡が刻まれるのである。

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透明な脳 ~第三章 風景を解釈する脳 「記憶する能力」と人類の進歩②

たとえば太平洋戦争の末期に、米軍が海上から近付いてきて上陸する光景を目にしたひとにとっては、きらきらと光る夏の海は決して旅情をさそいはしないだろう。海面の反射すら炸裂する黄燐のように見えるかもしれない。ところが戦後の豊かな社会で育った世代にとって、青い海は楽園として映る。マスコミを通じて、脳の中にインプットされた観光地と海岸のイメージが記憶として定着しているからだ。

もちろん沖縄戦の経験者であっても、戦後、沖縄の海と海岸は観光地としてのイメージを植え付けられているから、海を見てどう感じるかという問題に対して、明確な一線を引くことはできない。あるひとは太陽の反射を美しいと感じた瞬間、すぐその後に恐怖感に見舞われることもありうる。

自著「透明な脳」より

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