脳にある海馬が一時的に記憶を蓄えた後、それを長期保存するために、脳のほかの部分へ情報を伝達することはすでに述べたが、海馬が機能を失ったとなると、記憶を一時的に保存することすらできなくなる。
たとえば、アルツハイマー病になって海馬が機能しなくなると、初対面の人は記憶に残らない。そのためその人に再会しても、すでに面識がある人だと分からない。本人はそのことに気付いていないので、会うたびに「はじめまして」と挨拶をしたりする。また、自分が食事したことも忘れて、食後すぐに「ご飯はまだか」と食事を要求することもある。
海馬が損なわれると、脳に入ってきた情報がそこで遮断されてしまうので、新しいことが覚えられない。そのためにある時点から、時間がストップしたような状態になってしまう。実際には海馬が徐々に衰えていくから、それに従って段階的に記憶力も劣っていくことになるのだが、完全に新しいことが記憶できなくなれば、世界そのものの受け止め方が変わってしまう。
自著「透明な脳」より