生命と時の流れ

今川クリニックの院長ブログ

ブログ書き始めて7日目の日が過ぎた。時間にして508時間の時が過ぎ去った。
私なりに時間について考えてみれば、何はともかく、人類学の視点において私自身がホモサピエンスという生命体として地球上に現れたことである。
時間とは何かというような問いは別として、母体から未知なるトンネルを通過して第一声をあげた。この一声は大変重要な一声である。心臓と肺が生命の活動を地上に示したことであろう。
ところで生誕の時間を示す機具時計と2010年の機具とは別物である。科学技術の発展から現在の機具の方が精度の差で断然精緻である。よく書面で、あなたは何年何月何日生まれと記載する箇所がある。その折、時間とは何かと云う「時間論」を考えながら生年月日を書く人はほとんどいないだろう。
あなたはいったい何を言いたいのか分からないと云う諸氏が多くいるだろう。当然その通りである。ここで私の言及したいことは、人が生まれてから死に達する時点までに、それぞれの人々の内的または主観的時間を経過したことの現象である。
冒頭に述べた508時間に人々の隅々の細胞が連携して個々の意識または体を維持できたのは何故か。単純にして、且つもっとも重要なことは、例えば、ヒトが生きるには口から食物を入れ、食物を消化分解する過程を経て、生存に必要な物質を体内に吸収すること、次に体内に取り入れ生存上必要でないものを排泄、排尿することである。また呼吸することの現象は、生誕の一声と同様に生存上、肺と皮膚で呼吸し、体内温度と体液の調整等々を個々の細胞が全体のバランスを取りながら行った人工時計の508時間である。
人体と時の流れ、各臓器と時の流れ、個々の細胞と時の流れが生誕から死に至る時点まで、この流れ(時)が止まることはないと私は想像する。

話は変わるが、私は精神科医であり、医師の資格を国から与えられているが、病にいる人を診る仕事には違いがないが、それのみでは私の探究心、好奇心を充たさない。
なぜ人が病んで医師の窓を叩くのであろうか?窓を叩く人は苦しみをとりのぞいてと声を出すのだろう。医師はそれに応える義務を国から指導されている。人と人の関係がそれのみであればマニュアル関係であろう。想うに、医師は患者を診るだけではない。患者が訴えている症状をマニュアル診察、マニュアル薬投与のみであるならば、国の医師であり、製薬会社の医師に過ぎない。
私見として、医師はまず生命科学者であることが医師の医師たる出発点であろう。と同時に芸術的感性をたえず磨くことが肝要と考える。誤解をされると困るので、ここで云う芸術的感性とはいずれの場所か知らないところに咲く一輪の花、都市の路面に舞う枯葉などに心動く感性を指していることである。
人の命も野に咲く花の命もそして虫とか小鳥の命をも想う感性が医師の魂を向上させるだろう。

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