改めていうまでもなく、記憶力がいちばん問題視されるところは学校である。ところがその教育の現場では、自然な記憶のメカニズムからかけ離れたところで断片的な知識だけが試される傾向にある。テストの成績だけをみて理解度や記憶の良し悪しが問題にされる。
普通、学校ではフランス革命が何年に勃発したとか、英語のWhoは日本語で「だれ」という意味であるとかいった断片的な知識を頭に詰め込む教育が行われている。こうした種類の記憶を「意味記憶」と呼ぶのだが、記憶の対象が実生活とあまり直結していないことが多く、暗記に努力が必要なことが多い。
学校で教える内容が、生徒の関心事や実生活となんらかのかたちで接点をもったばあい、記憶のメカニズムはスムーズに働くのだが、実際にはすべての生徒の関心が教科内容と一致しているとは限らない。だから試験の成績だけをみて、生徒の知力を評価することは公平とはいえない。
自著「透明な脳」より