太平洋戦争の敗戦後は、大都市に住んでいた人達が「生きる」ために自らの足で食物を田舎の家に訪ね、探し求める事が常であった。その当時の混乱は「東京裁判」の映画を見れば、よくわかるであろう。それから67年の歳月が、日本人の行動を一変させた。
日常生活に必要な電化製品が各家に行き渡った今日の社会に於いて、地球上の国々がグローバル化され、情報が「生きる」ことのキィワードになっている。
例えば、高等哺乳類は、チャールズ・ダーウィンの提唱する「弱肉強食」に従って、「生きる」為の生存競争が必然的に生まれ、その行動をしている。
「生きる」とは基本的には種の保存に尽きる。しかしグローバル化した人類は、科学技術の発展を優先した為、現代社会での情報はアナログからデジタル化され、会話においてすら人間同士の関係がデジタル化することにより、「あいまいさの言葉」が減少している。この現象が、孤独死を生む日本の無縁社会に移行しつつある。太平洋戦争敗戦後、日本はアメリカの指導によりアナログ化からデジタル化に変遷しつつある。
話は変わるが、「忘れる」と「憶える」と云う言葉は、社会の中で日常生活を送る上で無意識に自然に身についた言葉であると私は考えている。もし他者から多くの様々な事柄を言われ、それらの事柄を「忘れない」と云う現象になれば社会は混乱するだろう。そうならないように、忘れても日常生活が出来る仕組みが「脳」にはある。つまり取捨選択のシステムが「脳」にある。また「憶える」を続けると云うことも社会を混乱させるだろう。これは「憶える」ことが人間社会に適応するための学習であり、社会適応の為に憶えたことを「忘れる」と云う現象が「脳」の働きにある。従って「忘れる」と「憶える」と云う現象は、社会環境と脳(ニューロン)の働きの相互作用にある。
ところで、日本人の高齢化は世界一であり、その結果、物忘れする人口の比率が自然に多くなることは自明であろう。私の考えでは認知症と云う疾患は、生命が生まれる前の基本的な化学反応が生と死の作用を有している。つまり不死「認知症」を治癒することは、上記の化学反応の観点から見れば不可能に近いと考えている。以上のことはあくまで私見であることを明記する。
2012/5/16 今川正樹