アルツハイマー病の症状として、すでに退職して数年経っている人が、ある朝突然ネクタイを締め鞄を下げて会社へ向かうというようなことも珍しくない。会社を退職したという記憶が脳からすっぽりと欠落していて、しかも海馬が機能していない場合こういうことが起こり得る。しかし、家を飛び出してみても会社へ行き着く道順が分からない。結局、道に迷って家族や警察に保護されることになるのである。
さらにアルツハイマー病の症状が進むと、「異食」や「不潔行為」が現れることがある。「異食」というのは、生ゴミや輪ゴムなど、食品ではないものを食べる行為である。「不潔行為」というのは、トイレではないところで大便をして、それを自分の身体に塗ったりする行為である。ここまで病状が進行すれば、家庭での介護は難しい。
アルツハイマー病の症状をあげれば、それだけで一冊の本が書けそうだが、病状のメカニズムは同じだ。すなわち正常な脳が徐々に崩れていくことによって、人間としての特性を失っていくのがこの病気である。記憶力は言うまでもなく、記憶力に依存している思考力や判断力、観察力、想像力など人間の根本的な能力が喪失してしまうのだから、見方によっては非常に残酷な病気だ。
自著「透明な脳」より