認知症、特にアルツハイマー病に至る要因を述べてきた。
環境因子の視点から視れば日本においては平均寿命の長寿化がまず挙げられるだろう。
また社会環境の変化つまりは人と人の接点が言葉においてのデジタル化である。すなわち言葉イコール情報に変化したことであろう。
デジタルの意味することは言葉の曖昧さが無く、yesかnoであることに尽きる。職場での仕事パソコンを通してのやり取りの仕事である。この方法について行けない人は職場からdropoutになる可能性が高い。
ところで人類学の知識によれば原生人が生きていく手段に大脳の左右の半球を使って生きる為の生活をしていたという。これはコトバの元来有する曖昧さと厳密さを原生人は使っていたことを推察させる根拠になると考えられる。
この一方であるコトバの曖昧さ或いは含蓄さが平成の時代、とくにここ数年来書字言語がパソコン言語に大方シフトしている。これも科学技術の進歩と言ってしまえばそれまでであるが、曖昧さの優位な脳を有する人はパソコン社会から落ちこぼれるだろう。
例えば文学、その中でも短歌、俳句、詩等の曖昧さを通して読み手にそれぞれの想像力を生み出すこれらの分野は人の脳から消え去るのだろうか。現実は厳しく、書店からこれらの書物は少なくなっている。私見であるが、デジタル言語は脳に在る欲望を満たす言語でもありかつ物の要不要の何れかに決定を迫る言語でもあろうと考えている。
曖昧さの言語は創造力の言語であり、人に優しさをあたえる言語でもあると私は考えている。
アルツハイマー病の発症原因は今日の医学研究において不明である。科学技術の進歩における長寿化によるこの疾患に罹る人が増加したのか或いはパソコン、携帯メールなどの生活文化の急速な変化に依るものなのか、何れにしろ医師である私は認知症の患者を前にして厳しい現実に立たされているのが実情である。次回は環境因子の一つである食生活に焦点に述べたいと考えている。
ヒトにおいて生きる仕組みは水、空気(酸素)、食物の三大要素が必要である。それは個体維持と子孫の繁栄の故に生命誕生以来36億年の進化を歩んだ。しかもホモサピエンスが地球上に現われて来たことは、私にしてみれば奇跡である。この奇跡の過程は未知に溢れている。
ヒトが進化し、食うか食われるかの現象を当時の地球環境を探索している古生代を研究している学者具体的に提示している。
ところで2010年生きている人類は様々な形で先に述べた環境破壊を行っている。36億年の時の流れを人類というホモサピエンスが止めるかもしれない可能性が秘められている。