わたしのクリニックには約200人のアルツハイマー病患者が通院しているが、介護している人から患者たちの症状を聞いてみると、共通した症状があることがわかる。先に述べたように、食事をしたことを忘れる症状はその代表的なものだが、夕方になると「そろそろ自宅へ帰ります」と言い置いて、家を出ていくケースがよくある。自分の家に帰るといっても、現在住んでいるところが自分の家なのだから、ほかに帰る家があるわけではない。
なぜこんな症状があらわれるのか、原因はいろいろ想定できるが、人生の一時期の記憶が欠落しているうえに、海馬の機能障害で、新しい記憶が定着しないことがあげられる。つまり現在住んでいる家が自分の家であるという認識がなくなり、長期記憶として保存されている昔に住んでいた家が、現在の自分の家だと錯覚しているのだ。また、場所や空間を認識する脳の機能が障害をきたしていることがこうした幻覚を引き起こす可能性もある。
自著「透明な脳」より